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「この世界の片隅に」と「バリバラ」

 
今日、やっと見てきた。
正直見るのが怖かったのである。
欧米の戦争がらみの映画は平気なのだが、どうも日本のその手の映画は陰湿というか、
世の不自由さを前面に出しすぎているというか。
たとえそうでなくとも、
「自分たちの生きているこの世界と時代とは別のところの話が展開するのではないのか?」という危惧。
NHKの朝ドラでさえ、この時代のことになると「ダメなトーン」一色になっているし、
「いい映画だよ」という評判があっても行くに行けない何かを(勝手に)感じてしまっていた。
たまたま今日が何もない日ということもあって事前に予約して見たわけだが、うん……杞憂だった。
この作品で描かれている世界も時代も、今の我々が生きているものと完全に地続きで、
変にdisったりも持ち上げたりもしていないし、ただただこの世界を体感することが幸せであると感じた。
(だからこそ途中から「戦争が襲いかかってくる」怖さとか理不尽さに何とも言えない気持ちになってしまうのだが)
 
戦争というとアンタッチャブルなものであるという認識がどこかにある。
それは障害者に対してもそうだ。腫れ物に触るような扱いとか、あくまで聖人君子として描き、最後には感動することを要求される。
しかし、それでいいのか?
障害者だって、配慮をしなければいけない部分はあるけれど、それ以外ではとんでもない煩悩の塊で、
そういう話を普通にすることのほうが正常だと思うし、実際にそれをやっちゃっているのがEテレの番組「バリバラ」である。
正直私も24時間テレビのうさん臭さとかには辟易しているので、どちらかを支持しろと言われたら「バリバラ」を選ぶ。
 
戦争も同様だが暗黒時代としてしまうか、変に美化するかの両極端しかこれまでは選択肢がなかったような……。
最後に感動を強要されるという点では障害者ものと全く同じだ。
でも「この世界の片隅に」はそんなことはなくて、気がついたら涙が出ていた。わたし、泣いてるの?な感じ。
そしてこれは、できれば人間として生まれてきたすべての存在に知ってほしい作品だし、見てほしい作品である。
 
ここからはオマケみたいなものだが。
攻撃を受けるにあたっては、それが焼夷弾なのかXXXキロ爆弾なのか、原爆なのかによって被害が違う。当たり前だけど。
そこの描き分けができているというのが、観客に与える印象として、アニメの作り物感を完全に払拭していると思う。
絵から痛みが感じられる。
音もラッパだったり警報だったり、それだけで「うわ、マジでやばい」と条件反射的に感じてしまうようになる。
作り物であるアニメによって作り物でない感情を伝えるには、そういうディテールを描くことが大切なのだと改めて思う。
 
さらに余計な話。
「照明弾を発射して目標の位置を確認した上で攻撃するというシーン」と言われて
真っ先に思い出すのが「さらば宇宙戦艦ヤマト」の潜宙艦のシーンなのだが
……あれは攻撃で敵を倒すという爽快感(悪い意味で)しかないのはどうなのか?という思いはある。
というより作品そのものが敵の価値観を一切合切、徹頭徹尾否定し、理解しあう可能性すら示すことはない。
じゃあ前作での「我々は愛し合うべきだった」っていったい何だったの?
ガミラスとはわかりあうべき、ガトランティスは滅ぼしても構わない、って、それ、
ナチスドイツがユダヤ人に対してやっていたのと根っこは一緒だからな?
とにかく自己犠牲の尊さと愛の素晴らしさを表現したいという理念ばかりが先走りしたせいであらゆるディテールが疎かになったその結果として
さらばはどうしようもないダメ作品になっていることに気がついていない人間多数なのがもう
……いくら言ってもわからないバカは以下略
 
さらにさらにどうでもいいかもしれない話。
シン・ゴジラ」のゴジラが米軍に攻撃されて、それ見て喜んでいる日本政府首脳ね。
私はあのシーン見てゴジラに同情しちゃった部分があるし、絶対ここで手痛いしっぺ返しがあるぞ!
と思っていたら案の定内閣総辞職でした。
今になって「シン・ゴジラ」を思い返すとそういう感情も自分の中にあったということがムキダシになって、
単純に善悪でいろいろなものが割り切れるようにこの世界はできていないと感じざるを得ない。
そんな風に思ったのでした。
 
そして今、この時代と世界に生きているみんなが平和で本当によかったと、そんな気持ちでいっぱいになった。
などといい子ぶって終わる。