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『ウルトラマンに必要なことは、すべて人生から学んだ。あ、逆だ』

(ちなみにこれは以前の再録です)
 
……何のパロディーだ?
 
小林よしのりが、またなにやら本を出したらしい。
煽り文句が『テロは100%悪か、アメリカは100%正義か』
とかなんとかいうものだ。
こんなもの、簡単に結論付けられる。
テロは100%悪である。どんな理由があろうと、
テロという行為に及んだ時点で、彼らに義はない。
ではアメリカは正しいのか。これも正しくない。
世の中には、正義と悪とが等しく存在していると信じている人が
多いようだ。
『鈴木某と田中某が争っている、鈴木某は疑惑だらけ、いや犯罪の匂いがする。
ということは田中某は正義の人だ、みんなで応援しよう』。
上の文は、基本的にミスを犯している。どこがなのか。
鈴木某に犯罪の匂い、だから悪というレッテルになってしまうのは、仕方のないことである。
だが、それと争っているから田中某が正義であるという保証はどこにもない。
悪と戦うのは、何も正義の味方の仕事ではないのだ。
フィクションの世界には、悪と戦う悪もいる。必殺シリーズの……少なくとも前半の、
自らを『仕置人』と称していた頃のシリーズに登場していた連中は、
自分たちが汚い悪人であると自覚していた。
許せぬ悪を、悪の上をいく悪が退治するという形である。
だからばれれば当然仲間の死というものが存在していた。悲しい決別が待っていた。
決して正義ではないのだから。
たとえば石ノ森章太郎の『人造人間キカイダー』では、悪の二大組織が相争っている。
テレビでは秘密結社ダークが全滅、ギル教授の脳を宿して復活したハカイダーも『キカイダー01』の後半では
シャドウの幹部となってしまうが、マンガのほうは違っていた。
ハカイダー(=ギル教授の意志をもったサイボーグ)は、あくまでダークを統べるものとして、一貫した存在だった。
彼は最後までシャドウに屈することなく、
最終兵器アーマゲドンゴッド(テレビでジャイアントデビルと呼んでいた巨大ロボット)でシャドウを葬り去る。
キカイダー』をご存知の方には説明不要だろうが、ダークもシャドウも悪の組織である。
それらが争ったとして、どちらかが正義であるとは読者は考えないだろう。
石川賢の『ゲッターロボ』では、恐竜帝国が地上を侵略するのと前後して、百鬼帝国もまた動き出している。
百鬼帝国は恐竜帝国のメカザウルスを片付けるのだが、それは彼らが正義の味方だからではない。
世界征服をするのに恐竜帝国が邪魔だから取り除いただけのことなのだ。
結論を言ってしまうと、『正義量保存の法則』というものはありえないのだ。
向こうが悪である分、こちらが正義なのだということは、誰にもいえない。
にもかかわらず、我々は敵を悪と規定することによって、自分たちが正義であると考えがちである。
それは単なる錯覚であることが多いにもかかわらず。
だから全体として、この世には悪意が満ちていると思う。しかしそれは仕方のないことなのだ。
正義というのは主観的な価値観であって、客観的に見て絶対的な正義というものがあるとは考えにくい。
正義を振りかざしても、それが誰かにとっての悪にならないとは言い切れまい。
そもそも正義という言葉があること自体が、問題の本質を表現している。
正義とは『正しい義』である。ということは正しくない義が存在していることにならないだろうか。
いや、世の中にあるのは正しくない義ばかりだからこそ、
わざわざ『正義』と言わなければいけないのではないだろうか。
(般若心経において『正見』という言葉が登場するが、これだって『見る』ということが
正しく行われていないことの現われだろう。『見る』ことが正しく行われているのなら、
なにもわざわざ『正見』などという言葉を出す必要はない)
だとしたら『正義』という言葉は、軽々しく使えるものではあるまい。
かつてウルトラマンは、地球侵略を企むバルタン星人を退治した。地球の側から見れば、彼は救世主である。
しかしバルタン星人からすれば、彼は20億もの同胞を虐殺した、悪魔のような存在ということになるのだ。
そりゃあいろいろと復讐したくもなるだろう。
(でもバルタン星人って、生命という概念を持っていないはずなんだけど
……そういう場合も生存の欲求はあるのだろうか?あるんだろうな、やっぱり)
バルタン星人の場合は、生命体として全く存在の概念が異なるから共存できないという言い訳もあるかも
しれないけれど、『ウルトラセブン』のノンマルトになると……。あれは明らかにまずい。
あと『敵の敵は味方』と一般的に信じられているけど、『敵の敵はやっぱり敵』ということも案外多いと思う。
『三つ巴』という言葉を辞書で引くと、三つの勢力が互いに争っていることと書いてある。
『互い』にだ。AとB、BとC、CとAがそれぞれ敵対関係にあるということになる。
だからAとBが手を組んでCと戦うというのは、三つ巴とは呼ばないはず。
私はそういったことを、低俗だとされている子供番組から学びましたけどね。
低俗な子供番組をバカにしていらっしゃる方々は、この程度のことはご存知でしょ?
知らなかったら恥ずかしいよねえ(笑)。
 
話を冒頭に戻すと、私はアメリカの陣営に属している人間であるから、アメリカが悪を行っていると知りつつも、
それを否定することはできない。(肯定をしないだけまだマシだと考えてほしい……完全に言い訳)
思うんだけど、小林よしのりって右翼じゃないよ。
その時点での権力(多数派)に逆らうことが正義だと勘違いしている部分がある。
相変わらず教育現場では左側が力を持っているから、右っぽい教科書に荷担してみようかという、
そんな姿勢を感じるのだが。
そう考えると『ゴーマニズム宣言』というのは、最初から少なくとも去年の時点までは
一貫した態度をとっていたのは確か。
作者にとっての権力への抵抗を表明する作品ということでは何も変わっていない。
世間で常識とされていることに対して異議を唱えるから『ゴーマンかましてよかですか』となる。
常識というのが即ち権力である。あるいは権力の裏打ちとなるのが常識である。
ただ、私はあのテロの件で『ゴー宣』を読むのをやめてしまった。
結局無責任な意見を言ってるだけでしょと感じてしまったから。
構造が見えたというか……。大橋巨泉小林よしのりってどこが違うんだろう?
(は?いつぞやの選挙ですか?もちろん私は舛添さんに入れましたよ)
要するに、次の話でどんな意見が出てくるのかが予想がついてしまう。面白くないよ、これは。
(『クイズダービー』の篠沢教授風に言うと『下品ですね』ということ)
で『戦争論2』を読んで終わりにした。だから今あの作品がどうなっているのかは全くわからない。
私の予想を覆すには、権力におもねるようなことでもするしかないだろう。
もっともそれでは『看板に偽りあり』と言われかねないだろう。
もっとも私は、一旦見捨てた作品には二度と戻らないけどね。
 
正義と悪ということについては、日本の戦前と戦後もそれになぞらえることが多い。
いわく戦前は悪であり、戦後は正義であると。
そうなの?
いきなり疑問を呈してしまったが、そう簡単に正義と悪とを規定することはできないと思う。
戦前にもいい面はあったし、戦後にも悪い面はある。
と言うと『お前は戦前を肯定するのか、軍国主義者か!』という意見がすぐに出てくる。
なんでや?どうしてそういうふうに話が飛躍するの?その発想がわからない。
戦前の体制だって見習うべき部分はあるし、何から何まで悪いことだらけだったわけじゃない。
戦後が絶対正義で戦前が絶対悪だと考えるのは、どこか危ないから冷静になってみようという
ただそれだけのことなのに、なんでヒステリックに反応するのだろうか。
戦前と戦後とどちらがいいのかという話をしたときに、それなりの優劣はでてくる。
しかし、それはあくまで両者の比較による優劣であって、
客観的に眺めてどちらかが善であるということとはちょっとちがう。
たとえば戦前と戦後に点数をつけるとして、戦前は30点です、戦後は35点です、という結果になったと仮定。
30点が35点になったのだからよくなった、という見方もできるけれど、
この点数、大学だったらどちらも落第点には変わりない。
そういう場合、果たして本当によくなったといえるのか?
あるいは戦前は−97でした。これが戦後は−95になりました。
こういう場合よくなったという表現は妥当なのだろうか?
おそらくほとんどの人が『ちょっとマシになっただけ』と言うと思う。
どうも学校では、戦前は−100だったものが戦後は100になったかのように教えているようだけれど、
本当にそうなのだろうか?
ちょっとマシになった程度のことを、完全に転換されたように教えてない?
正義量保存則が成立すると思ってない?
戦後が絶対的な正義である分、戦前は絶対的な悪であると思い込んでない?
『戦前はよかった』。
この言葉の裏に秘められている意味を読み取らなければ、それに対する意見も安直な批判にしかならないと思う。
 
ただ戦中、日本が占領政策を行ったアジア諸国の中に
『日本が占領してくれたおかげで、こんなによくなった』という声があるのも確かだけど、
それって現地の人が言うことで、占領した側の日本が声高に言っちゃマズイよねえ(笑)。
 
それから、戦線が拡大しきって補給もままならない戦争をやってしまったあの当時の日本軍上層部はバカです。
そんなことは素人(=私)でもわかるのに、なぜやるか。大陸だけにしておけばいいものを……。
(と書くと大陸の関係の人から抗議がきそうなので謝っておきます。ごめんなさい、他意はありませんし、
決して侵略戦争そのものを肯定しているわけでもありません)
 
どうして戦前と戦後なんていう疑問が出てくるのか。
それは一部の人間の基本的な体質が、あの戦争でも全く変わっていないから。
戦前は(と言い切っちゃうのも危険だけれど、あえて)、とにかく海外に進出して、
国益のために何でもやれ、逆らうものは非国民だ――と、それでイケイケだったわけですが。
じゃあ戦後はどうなのか。民主主義だ、人権主義だ、国益じゃなく外国を優先しろ、逆らうものは軍国主義者だ
――って、コラ!看板を取り替えただけで、相変わらず考え方(の道筋)は同じじゃないか!
(それをやってるのが○○新聞)
右と左と方向は逆でも、行き着くところでやることは、人権侵害と言論思想統制全体主義への移行じゃないか。
軍国主義も危険だが、共産主義だって同様に危険なんだよ。オウムの信者を誰が笑える?
キリスト教だって『汝殺すなかれ』と言いつつ『ただし信者でないものに関してはその限りにあらず』という
ダブルスタンダードで臨んでいるものも多い)
……ていうか、少なくとも私とその隣人を巻き込むのはやめてほしい。
 
結局こういうことか。悪は容易に識別できるが、正義をそれと認めることは非常な困難を伴う。
おそらくは。
 
本当にわからないことがある。
どうして国会議員としての基本的な資質に欠ける田中某が人気あるのか?
わかんない。
私の目には鈴木某も田中某も、国会議員の資質に欠けるという点では、どっちもどっちとしか映らないんだが。
 
でもって、あの議員が言い訳をしたんだが、
なんか地下鉄サリンの頃のオウムを髣髴とさせる詭弁と自己弁護にしか聞こえない。
何があっても自分が絶対正義であると信じきっているようだし。
こういう手合いがいちばん始末に負えないのだろう。