20年ぶりにエルガイムにはまっている。
理由はわからない。
ただ、現在の自分において、
旧ルパン三世とファーストガンダムと
エルガイムの与えた影響はかなり大きいということだ。
それはものの考え方であり、
ライフスタイルへのこだわりというかポリシーというか……。
特に「エルガイム」を体験したというのは、
かなり大きかったのではないかと思う。
アニメでありながら、アニメとはおよそ関係のないもの、
殊にサブカルチャーと呼ばれるものに対して触れるきっかけとなった作品であるから。
ファッション、音楽、各種デザイン、美術的趣味。
「ガンダム」の場合の影響は、アニメであっても「本筋の文化」に繋がっているのだということを
教えてもらった気がする。
そういったことを人生の、かなり早い段階で体感させてもらえたというのは、
あるいはとても幸せなことだったのかもしれない。
「エルガイム」は違う。
あくまで外道である。本筋ではない。絶対に主流にはなれない。
しかし、それでもいいと思う。
あれが本流になるようだったら、文化とやらも終焉のときを迎えるだろう。
この表現は、決して「エルガイム」という作品を卑下しているのでもなければ、
文化というものを大上段に構えて語ろうという意図があるのでもない。
アニメとは本来そのようなものであるというのが、私の認識だからだ。
とはいえ、その「場末の駄菓子感のあるもの」が与えた影響はかなり大きい。
年齢を重ね、ギワザどころかアマンダラの年齢も超えてしまった。
もちろんまだまだポセイダルの年齢には程遠い。
それでも、あの頃のことは過ぎ去りし過去である。
ではそこから変化があったのかといえば……実はほとんど変化がなかったのではないだろうか。
ファッションにしたところで――もちろん昔と体形がほとんど変わっていない、
ダバ・マイロード並みの身長体重をキープしているということがあるにせよ――
相変わらず上はダボダボな感じのシャツやジャケット、
下は細め(スリム、ではない)のパンツというかジーンズというスタイルを頑なに守っている。
吊るしの背広が体形的に似合わないので、必然的にセミオーダーのものばかり、
とまあ、単に無頓着なだけかもしれないが、あの頃のナガノキャラのシルエットを押し通している。
社会的に許されるのなら、またロン毛をやってみたいという気持ちもある。
それってどうなんだろう?という疑問は当然ある。
流行というものからは完全に外れている。
だが、その変わらなさが楽しいのだ。
それはポセイダルのようにはなるまいと思っていた十代の頃とは違い、確実に若き日に回帰しようという、
アマンダラ的発想のような気がする。
自分が確実に、醜悪なオルドナ・ポセイダルへと変化しつつあることに気付いて愕然としたこともあるが、
今では開き直っている。
それでどこが悪いのだ?とね。
そうすることでしか、自分という人間は生きられないのだから、だからポセイダルを演じてみせるしかない。
たとえミアンに捨てられようが、ダバ・マイロードに反抗されようが。
だからポセイダルとして生き、ポセイダルとして死のうと思う。
で、結局同じ匂いは「少女革命ウテナ」の鳳暁生にもあって……だからあの作品が好きなのかもしれない。
相当ヤバイよね、オレ。
白状しちゃうと、ガウ・ハ・レッシィというキャラクターに、当時真剣に恋をしていた。
今見直してみたら……まだ好きなんだよね。
ただし「好き」の中身は変化しているけど。
ついでに言えば、アムとかオリビーとかはかなりどうでもよかった。……でも今だと違う。
みんなかわいい。みんな好き。当然レッシィは別格で好きなんだけど、
なんだろう、個性っていうものがよく見えるようになったのか、
自分の好みから外れているオンナノコでも、見守ることができるようになっているね、今は。
続きは気が向くことがあったら。