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最大公約数的脳内美少女

もし、後藤真希の新曲が今現在発表されたとして、どんなことが予想できるだろう?
 
まず「つんく♂さんの詞は、女の子の気持ちがわかっている」というコメントが出るに違いない。
と同時に「でも、あの曲の中の女の子と私とは違う」とも言われるだろうことは想像に難くない。
ほかの人はどうだか知らないが、私は曲の中の女の子と後藤真希のイメージとが
一致してくれることを望んでいる。
でも現実問題として「横浜蜃気楼」「さよなら「友達にはなりたくないの」」
スッピンと涙。」の中で描かれた女の子像は、後藤真希のイメージからは乖離してる。
これは意識的なものなのか、それとも無意識にそうなっているのか。
 
意識的に、後藤真希像から離れた女の子の歌を歌わせて、そこに何らかの効果を見出そうと考えてのことならば、
……この試みは失敗している。
つんく♂に対して「いや、あんたの脳内世界はもう要らないから」とか
「オナニーはほかのアーティストを対象にやってくれ」とか、今の私はものすごく言いたい。
いや、後藤真希だけではなく、松浦亜弥についても安倍なつみについてもご同様。
 
あんたのオナニーは飽きた!!!
 
おそらくつんく♂の目指している女の子像というのは、一般的な、普通の女の子のイメージなのだろう。
それこそ表題に挙げたような「最大公約数的」な。
 
だけど、そういう女の子って、楽しい?
それはそれでひとつの個性だろうけど、自分としては承服できない。
最大公約数的女の子が相手だったらこんなにつまらないことはないと思う。
どこか主流から外れている部分があるから、どこか「変」なところがあるから面白い。
少なくとも私にとってはそうだ。
だから私は後藤真希が好きだ。
 
……と言ってしまうと、「その後藤真希像も、あんたの脳内イメージだろうが」と
言われてしまうであろうことは承知している。
それは仕方ないじゃないの。
自分が実際後藤真希と付き合っているわけではないし、仮につきあったとして、
本当の姿が理解できるかどうかは甚だ疑問なわけで。
でも、実像がどうこうじゃなくて、自分自身が後藤真希に、
いや、後藤真希を通じて表現されようとしているものにいくばくかの期待を持っているわけさ。
オレが見たい、こんな後藤真希、というものが厳然として存在している。
それから外れたら「NO!」と言うし、そこに近づいていたら「YES!」と言う。
もちろん後藤真希本人の意向は最大限尊重した上で。
彼女にとっての、自分が見せたい後藤真希像っていうのもあるはずだと思うから。
だから自分の、自分以外のファンの、そして本人の望む後藤真希像が完全に一致してくれれば、
これ以上の喜びはないだろうな、と思う。
現実には不可能に近いだろうけど。
 
せめてさ、ファンに望まれる形の曲リリースにはしようよ。
「もう失恋ソングはいいです」「バラードはいいから」という声を散見する。
実は私も同意見なのだ。
本当、今のままだとつんく♂ひとりが喜んでいるだけみたいじゃん。
そういう試みを繰り返して誰が最も被害を被るかといえば、後藤真希本人でしょ?
たとえ「やらされたもの」だったとしても。
考えてくれよ、もう少し。
 
最大公約数的女の子といえば、現在のモーニング娘。がそれに最も近いだろう。
とにかく「アイドル」「かわいい」という陳腐極まりない形容詞がついてまわる。
だから面白味がないんだな。
 
オレはね、「アイドル」も「かわいい女の子」も興味がないんだ。
「アイドルらしからぬ女の子」とか「かっこいい女の子」が好きなの。