いじめがテーマであった。
泣けた。
涙は出ていない。
だけど、まともな、自分が壊れていない状況なら、この現状に憤り、
必死になって生きようとする人間の足を引っ張って、地獄に引きずり込もうとする
邪悪な行動を許そうとは思わないだろう。
でも、心の中では泣いていた。
私自身はいじめというものに遭遇したことは……ほぼない。
もしかしたらあれが?というのはある。加害者としても被害者としても。
しかし恐るべき犯罪行為が平然と行われているこの現状に、なぜみんな何もしようとしないのか?
かくいう私も何もできない。と言うより、何をしたらいいのかがわからない。
それでも卑劣な犯罪行為に対して動いてくれる人がいる。先生がいる。学校がある。大人がいる。
それは救いになる……だろうか?
もしかしたら、自分の周りにはそんな人間はひとりもいないという状態に、却って絶望を抱いて
最後の手段――自殺に走る子も出てきはしないだろうか?という気もする。
人が人を傷つけ、人が人を殺すことに、正当性などありはしないのだ。
現在の私自身が壊れた人間である。
いじめとはちょっと違うが、「パワーハラスメント」というものが原因になった。
それが毎夜の不眠につながり、それを解決する術を持たなかった5年前の私は、とうとう鬱病になってしまった。
静養してみたり、それまでの仕事を変えてみたりと様々な対処をしてみたが、
ある程度まで壊れてしまった心は、もう元には戻らないということを最近つくづくと感じている。
ついでに書いてしまうが、私は現在会社から「戦力外通告」を受けている。
この先どうなるのか、まったく見当がつかない。
配置転換か解雇か。たぶん解雇の可能性が高いと思う。
いったい私のどこが壊れているかというと、
- 他人が信用できない。時折自分以外がすべて敵に見える。自分の肉親に対してさえも。
- 破滅願望と破壊衝動、自殺願望が時々起こる。
- 他人を愛せない。本当の意味での愛情が欠落している。
- 本能としての自分の遺伝子を残したいという気持ちがない。
- 何をやっても心の充足感が得られない。
- 物事に対する欲求がほぼない。快楽に対する欲求さえも薄い。
- 自分がこの世に生きていることそのものに罪悪感がある。
具体的に書くとこんな感じだろうか。
いや、こうやって書けるようになっただけましだ。
以前は「漠然とした不安と不満」としか表現できなかったのだから。
一時期、自分の症状がよくなったと思っていたのだが、そんなことは完全な錯覚だった。
揺り返しで、今は以前以上に悪化し、慢性化しているとしか思えない。
自分を客観視できるようになったという点だけだろうか、良化した部分は。
「パワーハラスメント」もいじめの一種であるから、その張本人の名前
並びに企業名*1を公表して死んでやろうかと思うことが頻繁にある。
こんな状態で、今さらどうやって人並みの人生を送れというのだ?
「鬱病は自己責任だ」と断言する奴もいる。私にパワハラを仕掛けた人間はそういう立場だ。
殺してやりたいが、殺すと私の周りの人間に迷惑がかかってしまう。一族郎党に罪を背負わせてしまう。
それはできない。
これって認知療法で治るのかと考えると、まず無理だろう。
自分で自分は変わらないし、変えられないよ。
そんなに簡単に変われるのなら、私のように苦しむ人間が大量に発生しているはずがないし、
自殺者が年間3万人も出ないだろう。
とりあえず自分が社会において不必要な人間だという立場に身をおいて、
それ相応に生きていくことを考えるしかないだろうと思う。場合によっては自殺という手段を念頭に置いた上で。
私がいじめを許せないと思うのは、こんな自分のような人間を作り出す可能性が大いにあるからだ。
人間の命は、大事に使えば一生使えるものなんだということを忘れさせてしまう。
犯罪者、加害者、殺人者……。いじめを行う輩は、許すべからざる重罪人だ。
コキュートスに転落させて、魔王ルシフェルに肉体を噛み砕かれることこそがふさわしい。
人が人を死に追いやる、これ以上の罪があるのか?
そしていじめを受けている子供たち、あるいは理不尽な要求に泣かされている大人たち、
私のようにならないうちに手を打ちなさい。逃げられるのなら逃げなさい!
人生メチャクチャになってからでは、もう取り返しはつかないのだから。
企業は結局は役立たずは捨てることしか考えていない。
心身ともに健康なうちに逃げろ!
壊れてからでは、もう遅いのだ。
*1:某大物政治家、いや某政党の党首に連なる大企業だ。だから今回の選挙での公約が如何に信用できないものなのかが、私にはわかる。……てか、単なる思い込みだが。