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宇宙戦艦ヤマトと戦艦大和の関係

その前に、関係者の証言から「宇宙戦艦ヤマト」の誕生について再現してみる。
事の起こりは西崎義展が藤川桂介に「戦艦ものの作品を作りたい」と相談を持ちかけたことから始まった。
この時点では「宇宙戦艦」でもなければ「ヤマト」であることも決まってはいない。
藤川は「今さら戦艦ものなどやったところで面白くない。どうせなら戦艦を空に飛ばすくらいのことをしないと」
と提案したそうである。
そこで、と、今度は豊田有恒のもとへ「宇宙もののアイディア」を出してほしいとの依頼が出る。
この両者の企画からなんとなく宇宙戦艦ものをやろうということになったのだが、
肝心のビジュアルが決まっていない。
「絶滅の危機に瀕した地球を、宇宙戦艦が宇宙のどこかに行って何かを受け取り、それによって救う」
というストーリーの骨格だけは豊田によって作られていた。
とりあえず戦艦のアイディアを、ということで参加していたスタジオぬえが出してきたのは、
まるで戦艦三笠のようなもの。
「三笠だね」「長門のほうが」「どうせなら大和にしよう」
……というわけで「宇宙戦艦ヤマト」というタイトルだけは決まった。
それに従って企画書が作られ、これが実際に放送された「ヤマト」のひな形になったわけなのだが、
少々ややこしいことがあった。
このあとで松本零士が参加することになるのだが、松本自身、それ以前に「電光オズマ」という作品で
「宇宙戦艦大和」なる宇宙船を登場させていた。
オフィスアカデミー側は当初ビジュアル面担当として他のマンガ家を想定していたのだが見事に断られ、
結果として松本の元に話が行ったのである。
このときはビジュアル面のみ担当ということでのオファーであったが、結局ストーリーも含めて
松本に任せるということになり、不完全ながらも全51話分の「松本零士構成案」ができてきた。
これは3クール目の最後でイスカンダルへたどり着き、4クール目は地球へ帰還するストーリーになっていたのだが、
この部分はほとんど歯抜け状態で、結局準備段階のストーリーは全39話で構成される。
松本は自分の構成案に、先に述べた「電光オズマ」も含めて、それまで自分が描いてきた作品の要素を
これでもかとぶち込んだ。死んだと思われた古代守が実はスターシアに救われて生きており、
中盤以降「キャプテンハーロック」としてヤマトを援護するという設定まで用意されていた。
この「キャプテンハーロック」は藤川が脚本を担当したひおあきら版コミックスの「ヤマト」にも
豊田が原案を担当した石津嵐版小説の「ヤマト」にも登場しており、当時のスタッフの間では
ハーロックの登場は既定事項として共通認識が為されていたと考えられる。
ところが実際に「ヤマト」が放送されてみると視聴率はひと桁台、
かつて同時間帯で放送されていた「ルパン三世」にも匹敵するほどの悪さで、
さすがにスタッフの更迭はなかったものの、早々に2クール打ち切りが決まり、
ハーロックの登場も幻となってしまった。
後に「ヤマト」の原作権をめぐって裁判が起こり、松本が原作権を主張、当時のスタッフにもそれを支持した者が
決して少なくなかったのは、このような事情があってのことであるが、それはこの後のことには関係ない。
少なくとも「ヤマト」のすべての権利が西崎に帰属するという「常識」が覆されただけでも、
あの裁判は十分に意義があっただろう。
 
漠然とした「宇宙戦艦もの」が「宇宙戦艦ヤマト」として動き出したとき、ある判断が求められた。
かつての大戦艦「大和」との関係はあるのか否かである。
結果としてヤマトは大和を受け継ぐものとして誕生したのだが、そこでさらに困ったことが起こる。
ヤマトの誕生に際し、戦艦大和の最期を挿入することになったのだが、
そのBGMとして西崎が「軍艦マーチ」をつけるように指示したのだ。
それを知った松本は激怒、放送前に急遽「ヤマト」用のBGMに差し替えさせ、現在の形に変更させた。
 
結果から言えば、このとき「軍艦マーチ」を使わなかったことは正解だったと私は考えている。
それは戦艦大和の最期がどのようなものだったかを考慮すれば、おのずと答えは出てくると思う。
昭和20年4月、戦艦大和は沖縄に向けて出撃するのであるが、これは一種の特攻行為であったらしい。
旧日本軍ならば特攻など珍しくもないことだろうと私もかつては思っていたのだが、
大和の生き残りの人の証言を聞くと、どうもそうではないようなのだ。
悪名高い旧日本軍においても兵士に「死にに行け!」などというのは無茶な命令であり、
「生きて帰って来い」というのが本来の命令の仕方であったようである。
いつぞやNHK戦艦大和乗組員で生き残った方の証言を放送していたが、大和の沖縄出撃に関してその直前
まさに「死にに行け!」というニュアンスの命令が出されたらしい。
それを聞いて乗組員たちはみな顔面蒼白になったということである。
普段から「死ね」などと言われているのであれば、それなりの覚悟もできていたのではないだろうかと想像する。
なのに「死にに行け!」と言われて衝撃を受けるというのは、戦争という極限状態にあっても
普段からそのようなことは言われていなかったのだろうと判断するのだが……異論のある方もいらっしゃるだろう。
そのあたりはここでは議論しない。
とにかく、あのときの大和の出撃は決して万歳三唱して送り出すような心情からは程遠いものであったと
私には思えて仕方ないのである。
そういった乗組員の心情と戦艦大和の状況を考えたときに、果たして大和の出撃シーンに「軍艦マーチ」が
ふさわしいかどうか……。どう考えてもまずいとしか思えないのだ。
「軍艦マーチ」そのものがどのような意図で作られた曲であるのか、私は知らない。
戦争を鼓舞するための曲だという程度の認識である。
この認識が間違っていないのなら、悲壮な出撃であった戦艦大和に対して「軍艦マーチ」を流すのは、
いくらなんでも不謹慎だろう。松本零士でなくとも怒るだろう。
もし今の私が当時の「ヤマト」の制作現場にいて、この場面に出くわしたら、
やはり音楽を差し替えろと主張するに違いない。
戦争というものに対して、命が失われた事実に対して、もっと我々は謙虚であるべきではないかと思う。
ではそういう謙虚さが今の自分にあるかというと……たぶん足りないだろう。
やはりデリケートな問題なのだということは認識しなければならない。
かといって目をそらしていればいいということでもない。
憲法で平和だ戦争放棄だとお題目を唱えていれば、それですべてが解決するという「宗教」はまずい。
だったらどうすればいいのだろう? 残念ながら答えはいまだに出てはいない。
そんなことを考えながらも、今も私は「戦闘アニメ」を見続けている。
 
ごめんなさい、うまくまとまらなかったよ。