※このページはGoogle Chrome、uBlock Origin、画面サイズ(ピクセル)1920×1080、色温度9300Kで表示確認をしております。

※本文中の画像に関しては、制作会社、肖像権者、テレビ局、所属事務所等に著作権があります。

※本日記での画像使用は著作権の侵害を意図したものではありません。

※登録内容に問題がある場合は、プロフィールのアドレスまでご連絡ください。(こちらの状況によって返信が遅れる場合があります)

※「名無し」、「通りすがり」等の捨てハンでメッセージをいただいても基本的に削除します。

※意味不明なコメントをいただいても承認しません。

※当ブログでは商品・サービスのリンク先にプロモーション(アフィリエイト)を含みます。ご了承ください。

●This page has been tested with Google Chrome, uBlock Origin, screen size (pixels) 1920 x 1080, and color temperature 9300K.

●All images in this document are copyrighted by the production company, portrait right holders, TV stations, and their offices.

●The use of images in this diary is not intended to infringe any copyrights.

●If you have any problems with your registration, please contact me at the address in my profile.

(Reply may be delayed depending on the situation here)

●If you send us a message with a "nameless" or "just passing by," we will basically delete it.

●Comments that cannot be determined to be of normal mental status will not be approved.

●This blog contains promotional (affiliate) links to products and services. Please be aware of this.

なぜモラルハラスメントやパワーハラスメントはいけないことなのか?

はじめに

この文章は、昨今急増しているといわれるモラルハラスメントパワーハラスメントの抑止を目的とはしていない。
また、それらの行為の根源的な背景を明らかにしようという意図もない。
ただこのように考えると、自分自身の心に余裕が生まれ、日常生活を送るのに支障となるものが除かれるように
思うので、あくまで自分のための備忘録のような意味で書くものである。
もっとも他人が読んで何か思うところがあるのならば、それはそれで構わない。
自由に物申してくださって結構である。

「逃げちゃダメだ」

新世紀エヴァンゲリオン」第1話において、主人公である碇シンジは謎の侵略生物・使徒を前に
人造人間エヴァンゲリオンで出撃するか否かの選択を迫られる。そのときに繰り返し呟くのが
「逃げちゃダメだ」というフレーズである。
私見だが、人生において逃げることが絶対的に悪であるとは思えない。
自己防衛のためにはむしろ逃げるべきときもあるはずである。
だから「逃げちゃダメだ」とは言い切れない。
が、「逃げないほうがいい」という気持ちもある。
なぜなら一度逃げた人間は、逃げ癖がついてしまい、それ以降の人生でも、
どうしても逃げる選択をしてしまいがちになるからだ。それゆえの「逃げないほうがいい」である。
だが逃げ癖とはなんだろう?
人生において障害となる事象が生じたときにそれを回避して楽な道へ逃避しようという気持ちが起こってしまうのが
逃げ癖である。
実際には重要な局面ならともかく、些細な障害でさえ回避しようとしてしまう。
(いや、重要な局面だからこそ回避されては困るかもしれない)
なぜ回避しようとする気持ちが生まれてしまうのだろう?

「人は同じ過ちを繰り返す」

人間はものごとを行う上で、モチベーションが必要になる。
モチベーションがあるからこそ、自分の苦手なこと、嫌なことであっても立ち向かおうとする姿勢になれる。
ではモチベーションを生むものとはなんだろうか。
それは成功体験だろう。ものごとを自力で解決したという体験の積み重ねが、多少の困難にぶつかった場合には
困難の先に待っているであろう成功を予測させて、立ち向かおうという気持ちを与えてくれる。
これも一種のモチベーションには違いあるまい。
成功体験の多い人間であればあるほど、立ち向かえる困難の量と質は大きく濃いものになる。
だから成功体験を積むことは大事なのだ。
ところで最初の成功体験はどのようにすれば得られるだろうか。
実はこれは他人から与えられなければ得ることはできない。
世の中には同じ失敗を繰り返す人間というものがいる。なぜそのような人間がいるのだろう?
これも成功体験と関係がある。というより、そのような人間は人生において成功というものを
味わったことがないのだ。だからどのように行動すれば成功が得られるかの方法を知らない。
代わりに知っているのは失敗をするやり方である。
だがそのようなやり方は自他共に好ましいとは考えられず、失敗を繰り返す本人も周りの人間も
そのやり方がよくないことだということは知っている。そして、知っている以上のことはわかっていない。
失敗を繰り返す人間は、失敗のパターンに陥るからこそ失敗するのだ。
その一方で、どうすればそのようなパターンに陥らずにすむかはわからない。
なんとかやり方を変えよう、行動する前に考えようとしても、所詮思いつくのは失敗のパターンに陥ったときに
それを回避するやり方程度に過ぎない。あくまで対症療法に過ぎないのだ。
失敗のパターンから逃れるには、成功のパターンに根本からやり方を変えなければ意味がない。
それを実現するためには小さいことから成功体験を積み重ねて、自分の行動パターンを成功するそれに
完全に変換するしかない。
たとえば企業の新入社員に簡単な仕事を与えて、それを遂行させるというのも
成功体験を得させるために行うことであろう。
人間は成功を重ねることで、自然に成功する思考法や行動のやり方を習得していくのである。
ではよくある叱責は意味はあるのだろうか?
ある程度の叱責は矯正のためには必要である。が、度を越えた叱責は何の意味も持たない。
叱責とは大抵の場合、失敗パターンのやり方を否定することに終始してしまう。成功パターンの伝授のために
うまく利用されるのなら効果的だが、失敗パターンの否定のみでは、本人はこの行動パターンはよくないという
部分だけを学習するに過ぎないのだ。それが度重なることで、消去法として成功パターンを見つけることも
あるかもしれない。しかし多くはそうはならずに本人が萎縮して積極的な行動そのものを避けるようになるか、
あるいは事なかれ主義に転向するかで終わってしまうものである。
ほめて伸ばすというのはそのようなものなのだろうと私は思う。

モラルハラスメントパワーハラスメントがもたらす影響

さまざまな形態があるが、簡単に言えば相手の人格、行動パターン、主義主張といったものを否定する行為である。
度を越した叱責や恫喝によって仕事や生活へのモチベーション、アイデンティティを低下あるいは消失させる。
そのためにうつのような病的症状が出たり、否定された人格を自分自身も否定して自殺に至るということも
少なくはない。
だから表立って「被害者」がとる行動は休職、離職、自傷行為といったものであるが、
内面ではとんでもないことが起こっている。
行動パターンが否定されるのであるから、その人間がせっかく人生の中で築き上げてきた成功パターンも
モラルハラスメントパワーハラスメントは否定する。否定されたことによって「被害者」は
成功パターンに基づく行動を無意識のうちに否定するようになる。つまりそれ以降は失敗パターンで
人生を送ることになりかねないのだ。
人格否定とか、離職によって収入源を絶たれるといったことだけではない。
それ以降の人生のやり直しができない状態に追い込まれるといった意味を持つ。
人格否定はそれまでの人生の否定であるから、そのような暗示にかかってしまった人間を元に戻すには、
傷つけられたのと同じか、あるいはそれ以上の時間が必要なのである。
しかもそれの癒しが独力でできる人間は、ほとんどいない。だから治癒のためには周りの人間をも巻き込んだ
大掛かりな仕組みが必要となってくるのである。(それゆえ大抵の企業はこの「リハビリ」を嫌がる)
たったひとりの自分可愛さ、自己愛が、結果的には何十人、何百人もの人生を捻じ曲げることに
なってしまうのだから、モラルハラスメントパワーハラスメントは悪なのだ。

再び成功体験を得るために必要なこと

残念ながら、そのような配慮をしてくれる場所は日本にはほとんどない。
皆無と言ってもよいと思う。
だから、この文章はここで終わりだ。
新たな道が得られたときに、また続きは書くことにしよう。