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「BSアニメ夜話」

海のトリトン」はいいとして
……なぜに岡田斗司夫はこれを西崎作品だと
言い出したのだろう?
はっきり言って不愉快である。
富野氏によれば、西崎は「トリトン」のときは
ほとんど現場に顔を出さなかったらしい。
それでありながら、なぜに西崎作品になる?
まあ理由はあるんだ。
それは「トリトン」というアニメ作品の生み出す利益のすべてが
西崎という男に渡るシステムになっていたのだから。
……え、手塚先生には渡らないの?という人、渡らないんですよ。
そういう契約を手塚先生も気付かないうちにやってしまって、
実質上虫プロのいくつかの作品の利益はすべて西崎が独占するようになっていたのだ。
……これウソじゃないぞ。手塚治虫の伝記にも書いてある。(さすがに「とある一社員」で、名前は伏せてあるが)
そもそも「トリトン」の企画は虫プロが立てたもので、パイロットフィルムまで作られていたのに、
なんで「(c)西崎義展」だったのかというと……調べりゃわかるよ。
で、話を戻して「トリトン」が西崎作品だというのには異議を唱えたい。
あれは後の「ザンボット」や「ガンダム」につながるものであるし、
そういう意味で富野作品と称するのならまだわかる。
が、これを西崎作品とするのは……だって極端な話、「トリトン」と「ヤマト」の共通点って
西崎がプロデューサーやってる以外には何もないもの。
父と子の相克とか乗り越えなければならない壁というものなら、
虫プロスタッフから後に「ヤマト」に参加する人たちは「どろろどろろと百鬼丸)」で経験しているし、
「ヤマト」の事実上の前作品というのはスタッフの陣容を見ても「ワンサくん」だろう。
少なくとも「トリトン」ではありえない。
なのに、なぜ岡田斗司夫は「ヤマト」に結び付けようとするんだろうね?
……この人、西崎に洗脳されているからなあ。
あえて結びつけるなら「ブルーノア」の展開のほうが近いと思うのだが……。
 
「ヤマト」だって西崎作品と呼べるかどうか。(「III」とか「完結編」あたりまで行けばともかく)
あの企画書からして、ほとんどが他人のアイディアと構成でできているし。
実際のアニメのストーリーと設定の大部分は松本零士が過去の自分の作品から流用したものだし。
自分に確固とした企画があったのなら、なんで「宇宙戦艦ヤマト」というタイトルが出てくるまでに
8か月(!)も要したのさ? 結局他人のアイディアでメシを食おうとしたからじゃないのかい?
藤川桂介によれば、西崎には戦艦を空に飛ばすという発想すらなかったそうだ)
 
もっともこれは個人的意見であるし、ネームバリューもあちらのほうがあるから、
私が何を言ったところで説得力なんかないだろうから、くだらない話だと思って忘れてくれ。
しかしアニメの歴史を語るときに、どんな作品であろうと絶対に「ヤマト」と「ガンダム」を通過しないと
いけないのかい? いつまでそういう旧来の偏った至上主義を続ければ気が済むんだろう?
確かに「ヤマト」と「ガンダム」は共に偉大で、私も両方とも1作目が大好きだ。
でもこの両作品抜きでも語れる作品ってけっこう多いと思うんだけどなあ……。