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「宇宙戦艦ヤマト 復活へ向けての序曲」その2

「ヤマト」の話はもういいよという人が大半でしょうが、お付き合いください。
イヤなら普通にスルーで。
まだ終わらんよ。もうちっとだけ続くんじゃ。
 
「HYPER HOBBY」見たけど、全然「復活篇」のこと応援してない文面が笑えたね。
「当時からのファンとしては復活を喜べん」みたいな本音丸出しだったのが。
マスコミも、金貰ってるから提灯記事書いておけばいいやってところばかりじゃないんだね。
もっともこの雑誌を出している徳間書店は35年前の本放送のときから「ヤマト」とつきあってるから、
こんなことも言えるんだろうけど。
 
「ヤマト」に関してよくある意見というのが「さらば」で終わっておけばよかった、というもの。
私はその意見にはまったく賛成しておりません。
私はパート1で終わっておけばよかった派です。
そう言いながらも「完結編」までつきあってしまいましたが。
その後も何か出版されたりイベントがあったりするとフォローしていましたが。
 
こんなことを言い出すのには根拠があるんです。
「ヤマト」はパート1とそれ以降とではまったく別の作品だからというのが理由です。
では何をもって別の作品だと判断するのか。
 
「ヤマト」のパート1は宇宙戦艦アニメですが、宇宙航海アニメでもあります。
宇宙を旅することで起こる出来事を描いていた作品という側面を持っています。
1話まるまる戦闘のない話というのもあります。(逆に1話まるまる戦闘シーンという話もありますが)
それに対して「さらば」以降は戦闘アニメという側面しか持っていません。
殺伐としたものです。
それだけなら他の作品と変わるところがないということで片付くのですが。
 
「ヤマト」のもっともよくないところ。それは声高にテーマを叫ぶことにあります。
パート1ではそうではありませんでした。
トーリーが結実した結果として示されたものが作品のテーマとなっていたのです。
1974年当時、社会状況がどこか殺伐としていたことに対し、スタッフはロマンと希望を持たせるストーリーを
描くことを第一義としていました。
キャラクターを殺すことについてもなるべく回避しようとしていたのです。
宇宙空間をリアルに描いたり、戦闘におけるご都合主義の排除等を考えていた結果、
ふたつの民族が存亡を賭けて戦ったら、どちらかが滅ぼされるしかないということを描くに至り、
「戦うべきではなく愛し合うべきだった」という結論になりました。
ただしこれは西崎の意向に従った結果のものではありません。
「ヤマト」のテーマは愛であると、西崎はすでに例の企画書の中で述べています。
しかしそれは地球人内部での愛であり、異民族、異星人をも包括する愛をテーマにするという文面であったとは
読み取れません。
どちらかといえば企画書のストーリーは登場人物の誰を犠牲にするかの指定に終始しています。
西崎が作りたかったのは「ヤマト」ではなく、最初から「さらば」だったのではないでしょうか。
お涙頂戴、さもなければ自己犠牲という美辞麗句のもとに特攻行為を描く、
そこに「愛と死をみつめて」的スパイスをまぶして。
みごとにほとんどのファンがそれに騙されたわけですが。
西崎が語るところの「愛」の正体とはそのようなものであると私は思っています。
話を元に戻すと、「さらば」以降、作品のテーマとは演繹的に導き出されるものではなく、
前提条件に変わったのです。
トーリーや描写はテーマを無理矢理搾り出すための道具に変わりました。
だから最終的なテーマ描写に至らせることが重要となり、そのためには強引なストーリーや
ありえない描写をよしとする、現在我々のイメージするところの「ヤマト」のカラーができてしまったのです。
視聴者の感情に訴えることができるのなら、科学的常識も曲げます。
(もっとも「新たなる旅立ち」以降に頻出する、宇宙服なしで甲板に出る描写は、メインスタッフの某氏が
宇宙には空気がないことを知らなかったからだそうですが)
そして「ヤマト」はファンから嘲笑われる作品へと転落しました。
もうキャラクターが真面目な顔でどんなことを語っても、真剣に聞くファンなどいません。
そうやって見捨てられつつあることを感じたからこそ、10周年という口実で、
急いで作品を終わらせたわけですが、ほとぼりが冷めたと思ったのか、また復活してきます。
(本当は90年代に企画はスタートしていたのですが、例の犯罪行為と会社の破綻劇で中断しました)
改めて新しい「ヤマト」を見たところで話のネタにはなるでしょうが、
何かを学ぶものにはゼッタイにならないでしょう。
「さらば」のテーマを「愛のために死ね!」だと評した人がいますが、実際そうです。
ヤマトを消滅させ、主人公をどうやって殺すかというところから出発している作品なのですから。
そんなものに騙されることのないよう、かつてのファンは新しいアニメファンに
警鐘を鳴らすべきだと思うのですが、間違っているでしょうか……?
ああいった作品をネタとして捉えられればいいのですが、
真剣に人生の指標のようにされると……人間としていろいろと問題がある気がしますよ。