「機動戦士ガンダム」は「(宇宙戦艦)ヤマトをつぶせ」という動機のもとに作られたアニメである。
では「ガンダム」は「ヤマト」をつぶせたのか?
確かにつぶせた部分はあったろうが、完全に凌駕したとも思えなかった。
それが「THE ORIGIN」の登場で、その認識は改まったのである。
なんとなれば、「ヤマト」には同じ芸当ができないからだ!
製作当時のスタッフによるコミカライズは不可能であるし、それをやれるスタッフも
すでに「ヤマト」には見切りをつけていたし、ならば若手はといえば、育成を怠っていたとしか言いようがない。
そんなわけで、この「ガンダムエース」の創刊と「THE ORIGIN」の連載開始をもって、
波動砲をかわさずともホワイトベースがヤマトに圧勝できることを証明してしまったのである。
とはいえ、私自身もずっとファーストガンダムを神のごとく崇め奉っていたわけではない。
ファーストガンダムの魅力は緻密に構築された世界観だと言う人がいる。
だが果たしてそうだろうか?
アニメックやガンダムセンチュリーや、いやいや、「GUN SIGHT」などの同人誌なくして
本当に「ガンダム」はアレだけの世界観を得られたかどうかは疑問が残る。
単にメカ設定がどうのミノフスキー物理学がどうのというのであれば、
それをなぜ「ガンダム」でやるのか?という疑問はある。
同じことを「マジンガーZ」でやってもある程度の結果は出るのではないのか?
あるときから私の頭にはそんな疑問が沸き起こっていた。
正直「ガンダム」という作品はスカスカである。
はめこむべきパズルのピースがあちこち欠落している。
それを補完しようといろいろな人たちがアプローチを試みたが、それは私にとっては満足のいかないものだった。
たとえばMSVとか、そんなことはどうだっていいのだ。
そんなことをやったところで「ガンダム」の世界観の強化にはなりえない。
にもかかわらず、皆それをやって良しとしてしまっていた。
それがフラストレーションを感じさせずにはいられなかったのである。
小説版を読むと「ギレンのすぐ下の弟のサスロが暗殺され」という感じの文が出てくる。
この一文を取ってみてもものすごい情報が詰め込まれている。
だが、誰も(少なくともオフィシャル上とその周辺では)このことを掘り下げようとしない。
その文を書いた、当の富野カントクでさえ!である。
そう、私が埋めてほしいと思っていたパズルのピースはそれだったのだが、
そういうことをやっても金にならないと踏んだのか、ほぼ顧みられない状態のまま20年ほどがすぎていた。
で、本当に富野カントクには申し訳ないと思うのだが、「THE ORIGIN」がなければ
私の中ではファーストガンダムの評価は(不当に)低いままであっただろう。
本来さまざまな可能性を秘めていたはずの作品を、よってたかって、
それこそガンダムセンチュリーの座談会で白井佳夫さんがツマラナイと評していた「ヤマト」劇場版並みの
駄作に貶め続けてくれていたのだから。
だから「THE ORIGIN」は私の溜飲を下げてくれた。
いや、そんな低俗な意味合いだけじゃないんだけどね、本当は。
だけどもうちょっと「高尚な」ことを書くことはあまりにも気恥ずかしいので、
中二病の人をバカにする高校生といった風情の物言いでごまかさせていただくしかない。
でもさ、「ガンダムエース」でやっているガンパロって、昔「OUT」でやっていたものの焼き直しだよなあ、
と思う作品も少なくないよね?(笑)
まあ、楽しいからいいけどさ。
GUNDAM A (ガンダムエース) 2010年 12月号 [雑誌]
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2010/10/26
- メディア: 雑誌
- 購入: 2人 クリック: 12回
- この商品を含むブログ (22件) を見る