同じような世代で
同じような情報を持っているはずなのに、
なぜにほかの人はハマれて私はダメなのか。
考えてみた。
もしかしたら、あなたにとってのオリジナルヤマトというのは、
私にとってのそれと違うのではないですか?
たぶん、いや、おそらく一般的なヤマトファンのオリジナルというのは、最初のテレビシリーズのはずだ。
が、私の場合は違っているのである。
これなのだ。
「なんですか、これ?」という人のために説明しておくと、アニメになる前のヤマト。
もう30何年、「実はヤマトってこうなるはずだったんだよ!」情報を浴びてきて、
私にとってのヤマトはこれになってしまったのだ。
だから石津嵐の小説も、松本零士やひおあきらのコミックスも、全部これからの派生物だと思っている。
実は……「聖典」であるテレビシリーズも派生物だという認識なのだ、私は!
つまりテレビのアニメと松本零士のコミックスは、私の中では等価なのだ!
単純にアニメをコミカライズしたものが松本版コミックスという認識ではない!
で、ヤマトという作品は人気がなくて一度ポシャったわけだが、何とか復活して映画化やら続編化やらにこぎつけた。
(最初の映画は人気が出たからというより、人気に火をつけようと作った感が強いが)
しかしね、それがどうにも欲求不満なんですよ。
なんとなれば、私が見たいヤマトというのは全39話の形だった「ヤマトの原型」ですから。
それを映像化してくれるのなら、多少アレな部分があったとしても、許す!(笑)
昔ヤマトの映画化情報というのが聞こえてきて、そのときのものというのは
「テレビでは描ききれなかった後半部分を中心に新たに作り直した映画」という話でしたからね。
ああ、これで見たかったものが見れるのか、と思ったら、映画はアレだったし、続編作ってみんな殺しちゃうし。
その後はフォローもできないようなことになっちゃうし。
改めて、テレビのヤマトは「ヤマトの原型」の派生物だと思っています。
となれば劇場版というのは派生物の派生物なわけで。
しかもテレビで後半部分を短縮させるための無理やり戦闘エピソードである「七色星団の決戦」を
メインにすえてしまっていて、もう世界観がテレビとは乖離しているんですよ。
その世界観を引きずったままで作られた「さらば」に至ってはもう、
私にとっては派生物の派生物の、そのまた派生物的立場で、しかも価値観が完全に変化してしまって、
完全に鬼子状態です、私の中では。
「あの作品が好きなんですよ」って、好きなのかよ特攻が?
だったらザンボット3の最終三部作のほうが思想的には健全だと思うし、
何より松本零士の戦場マンガシリーズは読んでおいてから言うべき言葉だろう。
そんなわけで、そういうオリジナルから遠くかけ離れた作品をお手本に実写映画化されても、
私はしらけるだけしかできません。(重ねて言うけど、あくまで個人的価値観に基づいた意見です)
ほかの人の場合はテレビのヤマトからの派生物という意識でしょうから、
私が感じているのとは距離がひとつ違うと思うんですよ。
その分抵抗がなく受け入れられるのかと。
ところで。
ちょっと待って!
実写ヤマトの前半に松本零士の原案が元ネタとしか思えない設定とかお話とか出てくるじゃないか!
そうなんだよね。
なんでそんなものが出てくるのかと思ったら
ただの偶然なんですよ。
映像化のために設定をアレンジしてみたら、アニメを作る前の設定と同じになっちゃったっていう、
ウソのようなホントの話。
森雪は生活班よりも戦闘班にいたほうが古代と絡めることができるだろうということで変更したら、
なんと初期設定そのまんまになっちゃっただけだそうで……なんだよ、喜んで損しちゃった。
おそらく、当日は投げやりな気分で見ているんだろうなあというのが今から想像つきますわ。
たぶん見に行く前に「大クロニクル」読んでると思うけどね。
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