今日の気分も「降下角50度」という感じである。
言うまでもないことだが、私はヤマトに関しては
パート1原理主義者である。
しかし音楽に関して言えば、完結編までアリと考えている。
過去「宇宙戦艦ヤマト2」のBGMが音盤の形になったことが2回ある。
(「不滅の宇宙戦艦ヤマト」を除く)
一回は「オリジナルBGMコレクション」であったが、これは後発の「総集編ドラマ編」の
BGM集としての側面が強く、本当に聴きたいと思っていた曲はほぼ収録されていなかった。
二回目は「エターナルエディション」だったが、すでにこのときにCD1枚で発売されることに
イヤな予感がしていた。
果たして、これも未収録曲多数という、まったくこちらの渇きをいやしてくれない構成だったのである。
特にその直前に発売されていた「さらば宇宙戦艦ヤマト」が重複も含めて
劇中使用BGMを完全再現していたこともあり、私の眼には製作者側の怠慢としか映らなかった。
そして今回である。
「不滅の宇宙戦艦ヤマト」がCD化されたこともあり、そして聴きたかったあの曲もこの曲も収録されており、
完全とは言わないまでも、かなりのクオリティのあるBGM集を自分で再現することが可能となったのだ。
「宇宙戦艦ヤマト2」は「さらば宇宙戦艦ヤマト」の成功に気を良くして作ってしまった作品である。
「ヤマトの最期を描くこと」を前提とした「さらば」を、多くのキャラクターを生き延びさせる形で
テレビシリーズにするということで白羽の矢が立ったのが安彦良和氏だった。
安彦氏は藤川氏ら脚本家の面々とカンヅメになり、前提をひっくり返した上でのシリーズ構成に
苦心惨憺したようである。
結果として「ヤマト2」は古代の物語ではなく、テレサの物語になったのではないだろうか?
テレサの心の葛藤が大きな比重を占めており、事実テレサこそがこの物語のキーパーソンである。
それからこの物語を見た人間は全員気がついていなければいけないことだと思うのだが、
本作でのヤマトは敗北する戦士である。
デスラー艦隊には勝利できず、巨大戦艦に至っては地球が蹂躙される様を
ただ見ているだけしかできなかった。
もしデスラーが矛を収めず、テレサの犠牲がなかったなら、地球が生き延びることはなかったのだ。
今作におけるヤマトの無力さと敗北という結果が何を意味するのか。
我々は今一度、それを考えるべきだろう。
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