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「宇宙戦艦ヤマト2199 第七章 そして艦は行く」(もうネタバレとかどうでもいいでしょう?)

 

  • 第23話「たった一人の戦争」

ついに大マゼラン銀河のサレザー太陽系に到達、二連星であるガミラスイスカンダルに向かうヤマトを
一条の光が襲う! これこそガミラスの持つ波動エネルギーを兵器に転用したもの、
即ち「デスラー砲」と名付けられた波動砲だった。
ガミラス星の上空に位置するその巨大要塞は第二バレラスと呼ばれていた。
指揮をするのはタラン長官、そして防衛はギムレー率いる親衛隊艦隊である。
だがヤマトに対し、なぜか総攻撃を手控えている新鋭艦隊。
そして第二バレラスの指揮システムはデスラーの乗艦デウスーラII世に乗っ取られてしまう。
デスラーはデウスーラの指揮艦で総統府から脱出、第二バレラスに移っていた。
そこにはユリーシャとして利用されようとしている雪とノランの姿もあった。
デスラーは第二バレラスの633工区をガミラス星地表の総統府に落とし、
ヤマトもろとも古きガミラスを消滅させようとしていた。
ヒス副総統らは、自分たちがデスラーに見棄てられたことを悟る。
ただちに総統府と周辺からの退避勧告がされる。
そんな中、ヒスはひとりの少女が倒れてなすすべのない様子でいることに気がつく。
それはシュルツの娘、ヒルデだった。
ヒスはヒルデに手を差し伸べる。
一方、首都バレラスに突入していたヤマトは古代を戦術長の任務から解くと、
ゼロで雪の救出に向かわせる。そして波動砲で633工区を破壊した!
ヤマトの波動砲は、ガミラスの破壊を防いだのだ。
その頃第二バレラス内部では、雪がデスラー砲のシステムを暴走させようとしていた。
そんな雪にノランが銃を向ける。
デスラー砲を守れば、自分は一等ガミラスになれる! だから……!
ノランは雪をエアロックから脱出させた。
暴走の始まった制御室でノランは気がつく、そういえば、あの人の本当の名前を訊いていなかった……。
デスラー砲が発射されんとしたその時、第二バレラスは暴走爆発する。
それはデスラーに従う者たちをも巻き込んで。
そして爆発のために半壊したゼロを発見する雪。
宇宙空間を浮遊する雪を発見する古代。
ふたりはやっと再会した。
その眼前には蒼い惑星があった。
 

  • 第24話「はるかなる約束の地」

ヤマトはとうとうイスカンダルにたどり着いた。
しかし波動エネルギーを破壊兵器に転用したヤマトに、スターシャはコスモリバースシステムを渡せずにいた。
そしてスターシャは知る、サーシャの死を、ユリーシャの見てきたものを。
ガミラスが、もうヤマトには何のわだかまりもないことを。
それでもスターシャにはコスモリバースシステムの譲渡をためらわせる理由があった。
進はスターシャに呼ばれ、イスカンダルの墓地へと案内される。
そこにあったのは、兄である守の墓だった。
古代守はガミラスの生体実験用に捕虜となり、サレザー太陽系まで護送されてきたのだが、
船体トラブルでイスカンダルに不時着、スターシャに助けられたが、この地で息を引き取ったのだという。
ヤマトがなぜ、わざわざイスカンダルまで赴かなければならなかったのか、
なぜコスモリバースシステムを直接地球に届けることができないのか、その理由が語られる……!
 

  • 第25話「終わりなき戦い」

コスモリバースシステムを受領したヤマトは地球へ向けて急いでいた。
ヤマトはガミラスの脱出艇を発見する。
そこにいたのはセレステラだった。
ヤマトはセレステラを匿う一方で、航路を探索していた。
バラン星のゲートシステムは地球側はまだ生きているはずであり、
これを利用して航海の日程短縮を図ろうとしていた。
幸いにもゲートは生きていた。
が、これはゲール率いる艦隊の罠だった!
亜空間に飛び込んだヤマトを突如急襲する大型戦艦!
それは死んだと思われていたデスラー総統の乗艦・デウスーラだった!
デウスーラから乗り込んでくるガミロイド兵士たち!
ガミロイドはタランによってコントロールされていた!
そしてついにデスラーが自らヤマトに潜入してきた!
デスラーの生存を知り喜ぶセレステラ。
だが彼女の発した言葉は精神感応波となってデスラーに届いてしまった。
思わず銃を撃つデスラー! 倒れるセレステラ!
デスラーを信じ、デスラーを愛してきたセレステラは、デスラーを撃つ!
自ら命を絶とうとするセレステラを雪が止めようとする。
デスラーの引き連れた女衛士がセレステラを銃撃した!
セレステラは死に、そして雪は重体に……!
 
デスラーの愛。セレステラの愛。雪の愛。古代の愛。
愛とはエゴイスティックなものなのだ。
 

  • 第26話「青い星の記憶」

死と再生の交錯。
 
すべては書きません。
どうか自分の目で確かめてください。
 
 
これもある意味ネタバレなのだが、「宇宙戦艦ヤマト2199」は、実は旧作の手法では
絶対に続編の作れない作品である。
だが、それでいいのだ。
変な続編を作って作品の質と価値を落とし、ファンを落胆させるよりははるかにいい。
 
宇宙戦艦ヤマトはなぜシリーズとして完結したのか?
人気がなくなったから、といった単純な話ではない。
人気がなくなったのならまだいい。
宇宙戦艦ヤマトは一時期、無視され黙殺され、嘲りの対象となり、
議論することがカッコ悪い作品だとされていたのだ。
それはあたかも集団いじめを受けているかのような状態だった。
 
ヤマトについて話をすることがカッコ悪いことだったのは、81年から90年前後、
ちょうど「永遠に」から「III」にかけての時期に始まる。
原因は様々あるが、もっとも大きなものは作品の内容だろう。
たとえるなら小学生に説教しようとして逆に小学生からツッコミを入れられるような。
それほどにこの時期のヤマトはあまりにもひどい内容だったのだ。
「ヤマトIII」などは、それまでのシリーズのボツ設定、未使用設定の集積体だった。
ボツ設定を使うことが悪いのではない。中身を吟味もせずに安易に使いまわすことが問題なのだ。
「完結編」になると、それまでヤマトのストーリーの骨組みを作っていた
松本零士藤川桂介といった人たちが完全に離脱してしまう。
あわてて安彦良和を呼び戻そうとして断られるなど、製作首脳の方向性も迷走していた。
何しろ「どんなオチをつければいいか」すら決まっていなかったのだ。
これでまともな作品が作れると考えるほうがおかしい。
すでに評価を受けるに値しないほどに作品がダメになっていたのである。
いや、「完結編」は劇場で公開されると、観客から笑いが起こるようなものだったのだ。
これではヤマトファンを名乗る人間でもフォローのしようがない。
だから、ファンすらヤマトを語るのをやめてしまった。
それどころかヤマト以外の作品のファンからすれば、
ブームの頃に散々バカにされた意趣返しの意味もあったのかもしれないが、
ひどいこき下ろしをされるようになっていたのである。
仮に反論したところで、最終的にはプロデューサーである西崎義展の人格論になってしまっていた。
これが的を射ているので再反論は不可能なのだ。
正直、まだ「ヤマトに残っていた人間」の多くは、「プロデューサーの人格と作品は別物」と
思っていたが、それ以外の人間にとっては「ヤマト=西崎」だったため、
話が合わなかったというのもあるのだが。
この流れは庵野秀明監督作品「ふしぎの海のナディア」で大々的にヤマトがフィーチャーされるまで
変わることはなかったように思う。
 
集団いじめ、と書いたが、本当にそんな時代だったのだ。
「いじめられるほうが悪い」という考え方があるし、確かにどうこう言われる原因がヤマトという作品と
それを取り巻く製作者たちにあったのも事実ではあるが、そうであっても周りの人間には
「いじめる」/「いじめない」の選択があったはずだ。
にもかかわらず、時代の空気の中で「いじめる」という選択をした人間があまりにも多かったのは
まさに人間の醜さを体現するものではないかと思うのだ。
ところが時代が下って例の著作権論争になったとたん、今度は西崎信者とでも呼ぶべき人間が
今までどこに隠れていたのかと思うくらいに登場してきた。
暗黒時代には擁護には参加せずに知らぬ存ぜぬを決め込んでいたくせに、
ちょっと風向きが変わると出てきては状況を混ぜ返すことしかしない。
この身勝手さ。これがヤマトファンの実態だ、と言ったら言い過ぎだろうか?
なのに今、「宇宙戦艦ヤマト2199」の「成功」に、そんなことはなかったかのように
ヤマトを語るものが多い。
作品の毀誉褒貶は、そりゃあるだろうが、これだけ上下を行ったり来たりな作品と、
そのときどきで態度を変えているファンの姿を見ていると、だんだん人間不信になってくるのである。
あの時代にヤマトをバカにしていた、当時のアニメ雑誌編集者やライターが謝罪したなんて話は、
私は寡聞にして聞いたことがないが、おそらく謝罪なんか誰もやっていないだろう。
ヤマトとは、そういう過去を持った作品なのだ。
隙を見せたら「やっぱりヤマトは(笑)」となるのがオチなのだ。
ダメな部分をバカにしたり、批判の材料にするのはもちろん構わない。
だがそれを理由に、優れている本当に評価すべきものまで同列に扱われるのは我慢ならないのだ。
もう一度言う。
安易に「前作はなかったことに」的な続編を作ったら、「やっぱり何にも変わっちゃいない」と
言われてしまう作品、それが宇宙戦艦ヤマトだ。
 
宇宙戦艦ヤマト2199」はそんな作品になってほしくないんだよ……。