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ホームシアターへのこだわり

※一部が音元出版ホームシアターファイルvol.17」に掲載されました。
 
ホームシアターへのこだわりについて書こうと思っても、特にネタがあるわけではない。
しかしそれでは寂しすぎる。私はシアターというものに魅せられ、そこに足を踏み入れてしまったのだから。
そこには理由があるはずだ。
シアターとその周辺についての想いを書いてみるうちに、何かが見えてくるかもしれないと考え、
以下を記すものである。
 
私は昭和4×年の早生まれである。
だから生まれたときからウルトラマンが存在していた世代であって、
もちろん幼少時にはそれらの洗礼を受けまくった。今でもウルトラマンというのは、私の中では別格なのだ。
(ちなみに初代ウルトラマン――古谷敏氏――の身長と体重は私と同じらしいが本当だろうか?)
ところで私が幼稚園入園以前の頃には、世の中はスポ根ブームに移行していたと、歴史には記述されている。
しかし幼児向けの世界では、相変わらず怪獣もの(と特撮もの)は人気であった。
少なくとも私の家には一般的な絵本「ももたろう」や「かちかちやま」などと一緒に、
朝日ソノラマ怪獣図鑑の類もあったのだ。
よりにもよって大伴昌司の世界である。
おかげで怪獣の内部図解には、今でもロマンを感じるし、
それらの本の復刻版が出ると聞くと買いあさっている始末である。
ただし、この怪獣の世界は、その後メカニックの世界へとつながっていくことになる。
当然のことながら「サンダーバード」や「ウルトラセブン」のメカニックと、その基地には憧れた。
基地……そう、この「基地ごっこ」というのが、私の幼少時には定番の遊びだったのである。
廃屋であるとか、ちょっとした物陰を基地に見立てて、そこで何やら「作戦」を行っていたのだ。
どんな「作戦」なのか。その実態は、何にもない。しかし当時は何かの任務を帯びて活動を行っていたつもりだった。
そのような、幼少の時代があったのである。
 
その後「ガッチャマン」や「マジンガーZ」の洗礼を受け、私の興味はアニメへと移った。
もちろん子供向け「テレビマンガ」にはずっと接していたが、このあたりから何かが変化した。
そのひとつは主題歌であると思う。それまでは「××合唱団」によって歌われていた印象の強かったものが、
明らかに個人名を特定できる歌手のものへと変化した。子門真人大杉久美子水木一郎堀江美都子
それ以前からの前川陽子伊集加代子を加えてもいいだろう。
われらがささきいさおさんが「たたかえ!キャシャーン」(アニメ「新造人間キャシャーン」の主題歌)で
アニソンデビューを果たしたのもこの頃だった。
私にとってのアニメソングは、少なくとも「歌のお兄さん」ではなく、
水木一郎さんなりささきいさおさんなりといった、顔の見える「歌手」によって歌われたものだった。
アニメソング(特撮ソングも含む)が私の中に火をつけた部分というのも、確かに存在する。
 
永井豪:作詞、菊地俊輔:作曲、ささきいさお:歌による「ゲッターロボ!」は名曲であると思う。
もうひとつ。
阿久悠:作詞、井上忠夫:作曲、朝コータロー:歌による「レッドバロン」も名曲である。
 
アニメの興味は、声優の興味へもつながっていった。
テレビの洋画劇場を見る。戦争ものなら納谷悟朗青野武木村幌といった人たちが声をあてていた。
……なんだよ、まるっきり「ヤマト」じゃん!――そう気がつくのに時間はかからなかった。
銀河鉄道999」のメーテルが、清楚なオードリー・ヘップバーンであると同時に、
肉感的なラウラ・アントネッリであることも知った。
洋画は字幕に限ると主張する方もおられるようだが、私の場合はそうではない。
若山弦蔵じゃないショーン・コネリーを見たいか?
納谷悟朗じゃないチャールトン・ヘストンを見たいか?
山田康雄じゃないクリント・イーストウッドを見たいか?
野沢那智じゃないデビッド・マッカラムを見たいか?
広川太一郎じゃないマイケル・ホイを見たいかきみたち?、ってば、このこの!なんて言ってみたりしてからに。
それはあたかも大塚周夫以外にブラック魔王の声をあてさせるようなもので、
なんたる、なんたることですかな!もう、きみってものは。
吹き替え。それは洋画にとって必要不可欠なものなのである。(声:広川太一郎
 
関係ないが、「チャーリーズ・エンジェル」は昔のシリーズのほうが好きだなあ。
 
時は流れ、私は高校生になった。
ある日、電器店の店頭で映画が延々と流されていた。
ヨハン・シュトラウス2世のあの曲にのって宇宙船が舞う……。
そう、「2001年宇宙の旅」だ。
絵の出るレコードとの出会いだった。
「噂には聞いていたが、まさか店頭でデモをやっていたとは……」(声:納谷悟朗
「とっつぁんどうする?見ちまった以上、後戻りは出来ないぜ?」(声:山田康雄
……そのとおりだった。
 
大学生の頃、新聞広告に100インチの大画面を可能にする液晶プロジェクターの広告が掲載されていた。
ということは、これさえあれば家庭で大画面シアターが作れるのか?
作れるんだな?そうだな!
妙な野心が植え付けられた瞬間だった。
 
大学のとき、バイトをやりまくって、レーザーディスクプレーヤーを買った。
もちろんCDなんか聴けないタイプである。
アナログ音声しか出せないタイプである。
それでも嬉しかった。
自宅のテレビに取り付けて見た「ゴジラ」は感動ものだった。
しかし、この感動が最後の一匹とは思えないのだ。
 
さらに時は流れた。
LDボックスというものがはやり出した。
調子に乗って(?)買いあさった。
見ているうちに、どんどん欲求が強まっていく。
もっと画質を、もっと音質を!
テレビでは我慢しきれなくなりつつあった。
 
そんなとき、近所のショップで液晶プロジェクターの大安売りをやっていた。
20万画素程度の、お遊び用である。
しかし、値段は数十kである。
買わんでどうする!
……買ってしまった。
 
そのまま白い壁に映してみた。
とても見られたものじゃなかったはずだが、感動だった。
60インチの画面サイズが、とてつもなく大きく感じられたものだった。
 
そして「スターウォーズ」が特別編となって帰ってきた。
ドルビーデジタルという音声フォーマットがあることを知った。
スターウォーズトリロジー」についていた、謎の「THX」というロゴの意味も理解した。
なによりDVDが出現した。
 
「そうだ、どうせならスターウォーズジョージ・ルーカスの思惑どおりに見てやろうじゃないか」
 
というより、ルーカスの考え方に共感しちゃったんですよね、うん。
 
ここで、システムを構築するにあたり、私は自分にひとつのテーマを課した。
それは「自分でつくる」ということである。
もちろんプロの助言等は参考にする。
しかし機器の選択、導入、設置はすべて自己責任で行うこと。
作業も、自らが行うこと。
そうでなければ「自分のシステム」とは言えないと思うからだ。
金を払って他人にやってもらうというのも間違いではないだろう。
だが私は自分のシアターでは監督をやりたいのである。
スポンサー的な意味でのプロデューサーであろうとは思わない。
そのために完成度が落ちようと、多少稚拙なものになろうと、それでもいいではないかと思う。
……ん?これってこだわり?
 
いちど火がついたものは止まらない。
それまで持っていたシステムコンポ(その昔、親に買ってもらったTechnicsのホニャララ)に
多少の買い足しをするだけの計画のはずが、気がついたら当時のDENONの機器を中核とする
オールTHXシステムの構築に変化していた。
スピーカーも、フロントとセンターはバーチカルツイン、サラウンドとサブウーファーはダイポール型である。
すべてTHXのマーク入り。
当時はultra、selectという規格の区別はない。つまり全部、現在でいうところのTHX ultra準拠である。
2年余りの間にボーナスをつぎこんで、一応5.1チャンネルシステムはできあがった。
 
が。
音ができてみると、今度は絵が物足りない。
濃厚なDENONONKYOのTHXシステムに、量販品に近い液プロではバランスがとれないのだ。
液プロ購入から3年以上が過ぎていた。
画質向上のために購入したスクリーンには、画素がくっきりと映っている。
何度か秋葉原のアバックさんで三管の視聴をさせてもらう。
やはりものが違う。
20世紀の最後を迎えようというとき、私はついに三管プロジェクターの購入を決意した。
 
目標はSONYのドルフィン。これならばなんとかスクリーンも込みで買えるだろう。
……と、会社の休み時間に表計算ソフトで返済計画を作ってしまう私だった。
そのまま順調にいけば、私の部屋には「青い」画面ができあがるはずだった。
 
ところがである。
その年の夏の終わりに、その計画は頓挫した。南極大陸に……小松左京じゃないんだから(笑)。
とにかく、とんでもない商品の話が聞こえてきた。
BARCOが新しいプロジェクターを出すという。
それも7インチ管で4倍密映像に変換可能。
今のCINE7だった。
……どうする?
ドルフィンよりも値段は高いが、スペック的には自分のやりたいことも存分にできる。
将来を見越しても、何ら問題はない。
BARCOの濃密な絵なら8インチ管だったが、この前ビッグサイトで見てきたばかりでわかっているつもりだ。
だけど……どうする?価格的にスクリーンまで手が回らなくなるぞ?
 
そして私は決断をした。
当面は現状のビーズ型スクリーンを使用したまま、プロジェクターをCINE7に変更することとした。
そうせざるを得なかった理由には、CINE7の投射距離の短さも原因としてあったのである。
プロジェクターの設置方法に天吊りと床置きの二種類があることは、私が説明するまでもないだろう。
どちらの方法にも一長一短はある。
しかし床置きには如何ともしがたい最大の欠点があった。
それは多くの場合、最良の視聴位置をプロジェクターの設置位置が占めてしまうことにある。
ひらたくいえば「プロジェクターが邪魔」なのだ。
そんなわけで私も天吊りの方法を検討していた。
といっても天井を強化しようとか、そういったことではない。
通販で売っているロフトベッド――高さが150センチくらいあって、
ベッドの下が自由に使えるという触れ込みのもの――の上にプロジェクターを乗せ、
天吊りをしたのと同様の位置に設置をするというだけなのだが。
そして実際に簡易的な図面を引いてみると……今度はずらりと並んでいるフロントスピーカー群が邪魔になる。
必要な投射距離に較べて実際の距離が長すぎるため、必要なスクリーンサイズが
とんでもなく大きなものになってしまうからだ。
これがドルフィンであれば、ちょうどよい投射距離とちょうどよいスクリーンサイズで収まるはずだったのだ。
悩んだ挙句に出した結論がサウンドスクリーンの使用だった。
スピーカーとスクリーンの存在を両立させるための苦肉の策だったわけである。
別にそのほうがかっこいいとか高級感があるとか本格っぽいとかが理由ではない。
選択肢がなかった。それだけなのだ。
 
シアターのスパイラルはまだ続く。
絵が完成度を持ってくると、音が気に入らない。
それまで使用していたのはAVC-A1である。
これとて決して悪くはないはずなのだ。今にして思えば「AVアンプとしては」の但し書きがつくが。
絵と音とは、絶妙なバランスの上に成り立っていると実感することしきりである。
どちらかが突出したところで、決して感動は得られない。
そこへDENONが満を持して、最高傑作と呼んでいいアンプを登場させた。
それが今に至るもアップグレードを繰り返して使い続けているAVC-A1SE(改II)である。
さらにDENON-Linkを実現させた脅威のプレーヤーDVD-A1を加え、
わがシステムは現在も稼動中であり、歩みを止めていない。
筐体アースをとってみたり、フロントスピーカーのケーブルを8Nのものとのパラレル接続にしてみたりと、
お遊びは今に至るも進行している。
それが前進か後退かは定かではないが(笑)。なにしろ1万円の某有名メーカーのオーディオケーブルより、
SONYの量販品(ちょっと高いやつ)のほうが私には好みの音だったのだから。
値段だけで音は決まりません。そこが楽しいのだけれど。
 
AVC-A1SEは低音の量感がものすごすぎるので、高域を強調する傾向のケーブルを使わないと、
バランスに欠けるのではないのかというのが、個人的意見です。
普通の高級ケーブルだと高音がつまって聴こえるんですよね。
 
さて、電動のサウンドスクリーンを導入した際、私はその可動音とスクリーンの上下の様子に、
ある場面を思い出した。
なんとなれば、それはウルトラ警備隊の司令室である。
自動扉のような音と、ウルトラホーク発進のときのシャッターを開閉させる様子を思わせるスクリーン……。
こ、これは……。
私は気付いた。
私の作っていたものは、シアターではなく、秘密基地だったのではないのかと。
幼少の頃の秘密基地遊びが、時代を超え、形を変えて、今も続いていたのではないかと。
そういえばわがシアターは、VCTケーブルやらネジやら端子やらがのさばっている。
数千冊の本と、数百枚ずつのCD、LD、DVDが同居しながら、
プロジェクターの置かれたロフトベッドの下にはインターネット用のコンピュータと机と椅子。
そんな機材が、「いかに隠すか」ではなく「いかに見せるか」状態で大きな顔をしているのが実情だ。
生活空間というより、まさに「作戦司令室」と呼ぶのがふさわしいだろう。
もちろん目の光る肖像写真もないし、ロケットに搭乗できるシューターもない。
しかしこの部屋を「作戦司令室」以外になんと呼んだらいいのだろう。
 
そして最近思うのは、わがシアターは未完成であることが最大の魅力かもしれないということである。
だったら公開はすべきではないのかもしれない。
幻の作戦司令室シアター?
それもいいかもね。